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2007年02月12日

隅田川橋りょうウォッチング

今日は鉄道とはほとんど関係なく,隅田川を歩いてきました.隅田川に架かる橋はいろいろと意匠に凝った鋼橋が多く,一度見て歩いておこうと以前から思っていました.天気がよくて暖かく,風もない絶好のコンディションだと思い,朝食後出発しました.新宿で都営大江戸線に乗り換え,勝どき駅には10時15分頃着きました.
というわけで,撮り歩いた橋の写真何ぞを.(あぁ土木的)


まずは勝どき橋から.ここは以前,中央径間の桁が跳ね上がり,大型船が通る構造だったのですが,道路交通量の増加によりいまでは跳ね上げは行われなくなっています.(いまでも構造的には跳ね上げることは可能だったような気が...)元々は「勝ち鬨の渡し」があったところで,昭和15年に架橋されてます.


隅田川の護岸は,大部分が「隅田川テラス」として整備され,散策などがしやすくなっています.なので天気のよい休日などは,散策はジョギングなどなど,様々な方が来ています.


佃大橋.昭和39年の架橋までは「佃の渡し」が通っていたところ.


対岸は佃島です.もっとも,昔ながらの雰囲気はかなり薄れていますが...


中央大橋.平成5年の架橋.大川端リバーシティの近くに位置し,斜張橋として景観設計にも配慮されている(んだと思います).


永代橋.よく夜のライトアップされた景観が,ドラマのバックなんかに使われますが,昼間見てもいい形のアーチ橋です.ただ,夜景だとバックのビルや高速道路を消し去ることも可能なのですが,昼間はそうも行かないところが,見た目としてちょっとなぁ...と思う部分です.
もともとは「深川の渡し」があったところ,江戸中期に最初の橋が架けられたんだそうです.


隅田川大橋.名前からはもっとも代表的な橋かと思いきや,単なる道路橋です.上は首都高で,いわゆる「箱崎」です.


清洲橋.ここも鮮やかなブルー系の塗装がなされ,特にライトアップ時は目立つ存在です.架橋は昭和3年.当時の桁がいまも現役です.


清洲橋を過ぎると,左岸側に小名木川の合流地点.橋は萬年橋です.


清洲橋近くのテラス.すっかり雰囲気は春です.そんなわけで,冬の格好で歩いたワタクシはすでに汗かき状態でありました.


新大橋.もともとは両国橋が「大橋」と呼ばれていたので,元禄時代に架けられたときに「新大橋」と名付けられたらしい.いまの桁は昭和51年架橋の斜張橋で,日中はピアの黄色が目立ちます.夜はライトアップされ,グリーンとイエローのグラデーションになるんだと思いました.....
ドラマ「ロングバケーション」のロケ地.


首都高両国ジャンクションです.単なる道路橋.


両国橋.江戸時代からある橋の一つ.もともとは武蔵国と下総国を結ぶ場所で,そのため地名が両国になったといわれています.いまの桁は昭和7年の架橋だったかと.


両国橋のたもとは神田川の合流地点で,柳橋がかかっています.柳橋付近は屋形船の船だまりでして,江戸情緒をいまに伝える場所.


総武線隅田川橋りょう.昭和7年の架橋.この写真を撮る直前に183系が通過したんだよなぁ.....(ぶつぶつ)

所要2時間,ここまで来て昼食.半ば行きつけの店と化している“ちゃんこDining 安美”でランチの日替わりちゃんこをいただきました.
でもちゃんこで豚肉が入る「肉ちゃんこ」って,ちょっと邪道な気がする.美味しいからいいんですけど.


午後の部スタート.蔵前専用橋という,いきなり知らない橋が出現.
よく見ると何やら管を渡すための架橋のようでした....(中身は何?)

 → 調べたところ,NTTの電話通信線を渡しているようです.


蔵前橋.黄色の塗装がいやに目立ちます.どうやら昨年度塗装されたばかりらしい.ちなみに架橋は昭和2年.
主構造となるアーチが10本並んでいます.


もともと蔵前という土地柄,高覧のデザインも凝ってます.隅田川を行く屋形船と相撲の横綱土俵入りデザインでした.


厩橋.3連のアーチ橋で架橋は昭和4年.
もともと江戸時代に木橋が架けられ,その後トラス橋を経て現在のアーチ橋になったのだとか.
江戸時代は有料の橋だったらしく,その通行料の徴収をしていたのが中村主水だから橋の名前が厩橋になったのだとか.(←大嘘)


駒形橋.ここも昭和初期の架橋で,いまもその当時の桁が現役です.
ワタクシ的には駒形といえば「どぜう」なんですけどね.....今日は行きませんでした.


吾妻橋.現在の桁は昭和6年架橋.浅草の顔の一つともいえる場所で,水上バスの乗り場にもなってます.


その水上バスの乗り場.いやぁ,こんな混んでいるとは思いませんでした.


この浅草周辺が,もっとも人の多いところでした.
こんな風景もそこかしこに見られ,一見平和な春の休日という感じですが,高覧の汚れを見るにつけ,その善し悪しもあるかなと.....

ここが一つの区切りかなー,などと思っていたのに,まだ続行.


東武伊勢崎線隅田川橋りょう.ちょうど8000系電車が浅草に到着するところでした.


言問橋.昭和3年架橋のゲルバー桁.東京大空襲でこの橋を通って逃げようとした人が数多く犠牲になられたとか.....合掌.


桜橋.隅田川唯一の人道橋.このあたりの両岸は桜の名所であり,またこの橋の下流に位置するのが「隅田川花火大会」の打ち上げ場所.(桜橋は立ち入り禁止になりますけど)
でこの橋,こうやって横から見ると何の変哲もないゲルバー桁に見えますが....


実は桁全体がカーブしております.
それで,桁の反対側へ行ってみると.....


もう一つの桁が合流してます.

というわけで,この桜橋,上から見るとX型の桁になってます.詳しくはgoogle earthからコピーした航空写真を見ていただけば,一目瞭然です.


白髭橋はペイント工事の真っ最中でした.アーチが見られません.


白髭橋の西側あたりは橋場といいまして,むかしむかし不二楼という料亭があってこんなかわとがしつらえてあったとかなかったとか.....(笑)


さらに上流へ進んで水神大橋.このあたりまでくると左岸側は鐘ヶ淵,右岸側は南千住ということになります.


鐘ヶ淵といえば,むかしはこんな風景があったとかなかったとか.....という冗談はさておき,いまは東京リハビリテーション病院が威容を誇ってます.この奥に東武の鐘ヶ淵駅があるはず.


千住汐入大橋だそうです.あっしの道路地図には載ってません.いつできたん?
このあたり,足に相当疲労が来てます.かなり投げやりモード.


(手前から)JR常磐線・つくばエクスプレス・東京メトロ日比谷線の隅田川橋りょう.すべてトラス橋で並んでいます.
写真撮影で列車通過時を狙ったら,もうすぐここを通らなくなる415系が来てくれました.


最後は千住大橋.これも昭和2年架橋のアーチ橋.本当は横からのアングルを撮りたいのだけど,下流側は撮れる場所に立ち入れないし,上流側はごらんの通り管路が通ってまして..... 仕方なく道路に立っての写真撮影です.
この千住,むかしから日光街道の宿場町として栄えたはずで,田毎庵というそば屋があって,よくそこに越後のちりめん問屋の隠居が訪れていたらしい.....(藁)


そういえば,千住はそういう場所でもありました.
そして,ここまで船で来てここから街道を旅立つのね.ということは,ここまで歩いたワタクシはアホ?

このあとは,千住大橋から京成に乗り,日暮里経由で帰宅しました.

--

そんなわけで,勝どき橋から千住大橋まで歩いてしまいました.非常に疲れてます.
とはいえ,こうやって一度に多くの橋を眺める機会もなかなか無いもので,たまにはいいですね.アーチ橋が多いのも,昭和初期に架橋されたところが多く,当時の流行が見えてくるなぁというわけで.

投稿者 とざわ : 2007年02月12日 22:28

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