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2008年10月31日

祝:京王新線開業30周年

新線開業30周年というべきなのか,新宿~笹塚間複々線化30周年と言うべきなのか迷うところではあります.が,とにかく30年たちました.
そんなわけで,新線新宿駅改札横で当時の写真が展示されております.(実は本日東北から戻ってきまして,その写真展を見かけてこの事実を思い出した次第なのですが.....)

当時はまだ都営新宿線が新宿まで開通しておらず,新線の電車はすべて6000系8連で運転されてました.日中だと快速京王多摩センター行きが20分ヘッドで,その間に新線新宿~笹塚の線内折り返しが2本はいるパターンでした.線内折り返し運用には,平日は特急運用にあまり入らなかった3+5連の編成がよく充当されていたのを思い出しますねー.それに新線新宿駅は配線の関係から5番線(現在の本八幡方面行きホーム)のみの使用だったのも思い出のヒトコマですなー.

うーむ,幼い頃(幼稚園の頃)の原風景のひとつが,旧初台駅の地下ホームと緑色の湘南窓の電車なんですが,あの駅が無くなってから(いまでも使用されてないだけで構造物は残っていますけど)30年か.自分の通っていた幼稚園も無くなったし,歳をとるはずだ.....

投稿者 とざわ : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月28日

敢えて言おう・・・

もいっちょ.

我が忠勇なるジオン軍兵士達よ、今や地球連邦軍艦隊の半数が我がソーラ・レイによって宇宙に消えた。この輝きこそ我等ジオンの正義の証しである。決定的打撃を受けた地球連邦軍に如何ほどの戦力が残っていようとも、それは既に形骸である。
敢えて言おう、カスであると!
それら軟弱の集団が、このア・バオア・クーを抜くことは出来ないと私は断言する。
人類は我等選ばれた優良種たるジオン国々民に管理運営されて、初めて永久に生き延びることが出来る。これ以上戦い続けては人類そのものの危機である。地球連邦の無能なる者どもに思い知らせてやらねばならん。今こそ人類は明日の未来に向かって立たねばなぬ時であると!
ジーク・ジオン!

投稿者 とざわ : 19:36 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月27日

ガルマ

無駄にネット上を徘徊していると,いろいろと奇妙なデータを拾うこともあるようで・・・

こんなん出てきました~

…我々は、一人の英雄を失った! しかし、これは敗北を意味するのか?! 否ッ! はじまりなのだ!
 地球連邦に比べ、我がジオンの国力は三十分の一以下である。にもかかわらず、今日まで闘い抜いてこられたの何故か?! 諸君ッ!!我がジオン公国の戦争目的が正義だからだッ!
 そして一握りのエリートが、宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して五十余年! 宇宙に住む我々が、自由を要求して、何度、連邦に踏みにじられたか…? ジオン公国の掲げる、「人類一人ひとりの自由の為の戦い」を、神が見捨てるわけはないッ!
 …私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ! なぜだッ?!坊やだからさ
 戦いは、やや落ち着いた。諸君らはこの戦争を、対岸の火と見過ごしているのではないか?! ガルマは諸君らへの甘い考えを自覚させる為に死んだ! 諸君の、父も、兄も、子も、その連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!
 この悲しみも、怒りも、忘れてはならないッ! それを、ガルマは、死をもって我々に示してくれたッ!
 我々は、この怒りを結集し! 連邦軍に叩き付けて、初めて真の勝利を得る事が出来る! …この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなるッ!
 国民よ! 悲しみを怒りにかえて、立てよッ国民よッッ!
 我らジオン公国々民こそ、選ばれた民である事を忘れないで欲しいのだッ!優良種たる我らこそ、人類を救い得るのであるッッ!
 ジィィィィク・ジィオン!

投稿者 とざわ : 21:36 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月25日

抱返渓谷の紅葉

この週末も東北の紅葉をということで,今度は秋田県の抱返渓谷へ行ってきました.
ここも紅葉の名所でありますが,先週行った八幡平とはまた違った趣の場所であります.


渓谷を目指すも,最初に立ち寄ったのは仙岩峠の茶屋.以前JR東日本のカレンダーにも掲載されたアングルでこまちを撮りました.
が,思いっきりアングルがギリギリになってしまい.....下手だなぁ.
おまけに紅葉はちょっと早かったかなぁ.天気もイマイチ.


下に降りてもう1枚.特に意味はありません.

このあと本来の目的地,抱返渓谷へ.


駐車場に車を止めて(300円とられた...),渓谷の入り口で.このときは晴れていたんですがね.....


前記の写真に写っている吊り橋まで来たときには,ご覧のように曇天に.
よって空を入れない写真が増えることになります.


この渓谷の特徴は,流れる水の恐ろしいまでの青さ.バスクリンでも混ぜたんじゃないかっつーくらいの青さです.
そんなわけで,曇天の紅葉撮影ではこれをバックにして,色のコントラストを強調することを狙ったわけです.


でも歩いてる途中で,一瞬晴れました.そんなときに対岸の紅葉を.


途中にある回顧(みかえり)の滝です.いちおう,抱返渓谷散策のメインスポットに位置づけられてます.
無理矢理黄色く色づいてる葉を入れて.


太陽が出ていればもっと映えるんでしょうがね...


滝からちょっと離れたところに展望台のような場所がしつらえてあり,そこから望遠で回顧の滝を撮ってみました.300mmで滝を撮影したのはたぶん初めてではないかと...

このあと,角館の市街にて稲庭うどんを昼食にいただき,安藤醸造元で味噌やいぶりがっこを買って実家へ送り,自分は角館の駄菓子とされているかりんとうを買って,ぶらぶらと車を転がして帰りました.
角館の武家屋敷なんかはまだ紅葉には早かったという事情もありますが,やっぱ天気がイマイチだったからなぁ.

投稿者 とざわ : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月21日

プロ野球クイズ 超初級編

阪神の岡田監督が退任されました.
シーズン2位での辞任が異例なら,阪神の監督が純然たる辞任で辞めるのも異例(ほとんどは事実上の解任)だし,だいたい阪神の監督を5年もつとめるのも異例と言ってよさそう.
阪神の監督で5シーズンで393勝307敗18分,勝率.561はすばらしいと言ってもいいかと.まあ,もちろんJFKの存在が大きいわけですが.

そこでクイズを1題.
岡田監督在任中の5シーズン,公式戦の4番打者としていったい何人の選手を起用したでしょう?

投稿者 とざわ : 16:47 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月19日

あれから20年…

今日は10月19日,10.19です.
あの,パリーグが一番燃えた日,1988年10月19日の近鉄vsロッテ25回戦・26回戦のダブルヘッダーが行われた日です.
とざわはあの日以外に,川崎球場が満員になったという事例を知らないわけですが,とにかくあの日の熱気は異様とも思える状況でした.
今年の巨人が13ゲーム差をひっくり返してのセリーグ優勝を果たしましたが,あの年のパリーグのほうがすごかったと私は今でも思います.

9月15日に首位西武と2位近鉄との差は6ゲームありましたが,そこから近鉄は追い上げ,10月5日にはゲーム差なしながら近鉄が首位に立ちます.(近鉄にマジック13)この時点で残り試合は西武が10,近鉄が15でした.
当時はまだ東京ドームがオープンした年で他にドーム球場はなく,例年9月後半から10月にかけては雨天中止分の追加日程が組まれることが常でして,この年の両チームも例外ではありませんでした.翌日6日は試合なし,7日から西武は10日で10連戦,近鉄は13日で15連戦という強行日程が組まれており,これを西武は直接対決2勝を含めた8勝2敗,近鉄は西武の全日程終了までで直接対決で2敗を喫するものの10日間を8勝3敗で乗り切るというマッチレースを見せました.そして17日に阪急に負け,18日はロッテに勝ちました.

10月18日現在
 西武 73勝51敗6分 勝率.589 全日程終了
 近鉄 73勝52敗3分 勝率.584 残り試合2(ロッテ2)

そして運命の19日,近鉄はロッテとのダブルヘッダーに連勝すれば,75勝52敗3分の勝率.591で西武を逆転できる状況にあったわけです.しかも相手ロッテはすでに最下位決定,10月だけで近鉄はロッテに7連勝中,ムードは明らかに近鉄逆転優勝に傾いておりました.西武ファンのとざわとしては気が気ではなかったわけでありますが.....

試合展開はいろいろなサイト(Wikipediaとか)で調べたり見たりすることができますのでここには書きません.ただ,これほどのドラマが詰まった1日というのは,めったにあるものではないです.特に,当時の試合時間と引き分けに関する規定が微妙に絡み合って,そのドラマ性を高くしたことは間違いないと思います.
この試合のポイントは,いくつかありますが,それぞれにドラマが作れてしまうようなものばかりで.....

●第1戦・梨田の勝ち越しタイムリー
●第1戦・阿波野必死のリリーフ
 (これが第2戦での連続リリーフ時に微妙に疲労を残した?)
●ダブルヘッダー第1戦に延長戦はない
●試合時間4時間を越えて延長戦は行わない
●ロッテの4番・高沢には首位打者のタイトルがかかっていた
●最後,何も望みのない10回裏の守備.

このあたりが大きなポイントかと思われます.そしてあの有藤の9分間の抗議..... これで有藤は一気に名前を全国区に(しかもマイナスイメージで)しました.もう監督の声もかからないでしょうね.
結果,近鉄は第1戦に劇的勝利するも,第2戦で試合時間4時間(午後10:44)までに勝ち越すことができず,引き分け.74勝52敗4分で勝率.587,わずかに及ばず2位でシーズンを終了したのでした.しかも第2戦10回裏,もはや勝つ見込みもなく,優勝の望みも絶たれ,ただ試合を終わらせるためだけに10回裏の守備についた近鉄ナイン,あれほど哀愁漂うチームももう見られないでしょうなぁ..... 特に大石が懸命に声をかけるシーンは涙を誘います.

さらに,この試合の主な関係者(両チーム以外も含めて)について,その後を振り返ってみます.

1.近鉄
2004年の球界再編騒ぎの渦中にあったチーム.結局いちど合併して楽天が新規参入という形になったため,近鉄バファローズそのものは2004年でなくなってしまいました.

●仰木監督
1988年,ヘッドコーチからの昇格で近鉄の監督に就任.当時「12球団一地味な監督」と言われたが,このペナントレースの盛り上がりで一気に名前と顔が売れ,「渋めのいい男」というイメージが出来上がった.
もともとは西鉄黄金時代の二塁手で遊び人.その後オリックスの監督に就任したときは二軍でくすぶっていた鈴木一朗外野手を「イチロー」として売り出し,最後は近鉄と合併した後のオリックスの監督を病気を隠しながら1年務め,シニアディレクター就任後清原の入団に道筋を付けたところで他界された.享年70.
あのイチローも師と仰ぐ名監督である.

●中西コーチ
監督よりも打撃コーチが性に合うのでしょう.とにかく打撃コーチとしてのキャリアが長い.現在もご存命.
10.19のときもコーチを務めており,第1試合で9回に梨田が勝ち越しタイムリーを放って,二塁から鈴木貴久が転がり込むようにホームインした歳に,グラウンド上で抱き合って転げまわっていました.そんなテンションの試合,最近ではまず見ることもできませんよねぇ.
現役時代は西鉄黄金時代の主砲,怪童中西.

●梨田昌孝
近鉄V2を支えた捕手.強肩とともに梨田を有名にしたのが独特のバッティングフォーム,通称コンニャク打法.この年での引退をすでに決意していたが,その最終打席になったのが,第1戦の決勝タイムリー.梨田は翌年のオープン戦での引退試合を打診されたが,「あの10.19を最終打席にしたい」と固辞したと聞きます.それだけ10.19が実際にプレーした選手達にも強烈な印象を与えているのでしょう.
引退後,自宅敷地内から遺跡が発見されたりもしました.その後近鉄バファローズ最後の監督を務め,現在は北海道日本ハムファイターズの監督を務めています.

●阿波野秀幸
当時入団2年目のトレンディーエース.(死語)
ルーキーイヤーから15・14・19と勝ち,近鉄のエースとして大活躍していました.この日は前々日に28球を投げていた(完投)にもかかわらず中1日で2試合ともリリーフで登板し,第1試合は二死満塁のピンチを迎えるも森田を三振に斬り,帽子を取ってのガッツポーズを決めました.(あのガッツポーズはデストラーデの次くらいにかっこいい.) 続く第2戦もブライアントのホームランで勝ち越したあとの8回に登板するも,ロッテの4番高沢に同点ホームランを打たれてしまった.
その後阿波野は野茂の入団と前後するように勝てなくなり,巨人・横浜を渡り歩いて2000年に引退しました.

●鈴木貴久
北海の白熊(それは北天祐のことだ...)もとい,北海の荒熊として毎年20本以上のホームランを打っていた外野手.打率は低くて三振が多く,村上・金村とともに一発屋トリオを形成していました.その中でもパワーはいちばんありそうだった.
10.19では第1戦の9回,セカンドランナーとして梨田のタイムリーで転げながらホームイン,中西コーチと抱き合って転げ回ったシーンはボルテージが最高潮に達した瞬間でしょう.いまでもプロ野球の名場面として放映されますね.
2000年まで現役を続け,その後近鉄のコーチを務められておりましたが,2004年に急性気管支炎で急逝されました.享年40才でした.

●村上嵩行
パンチ力のあるショート(守備力は...)としてレギュラーをつかんでいましたが,1988年から外野にコンバートされてました.終盤はベンチを温めることが多く,この日もスタメンではありませんでしたが,第1戦の5回に代打で2点タイムリーツーベースを放っています.そしてベンチのムードメーカーとして全力を振り絞っていました.
その後けがで出番が減り,最後は西武に移籍して2001年に引退.

●金村義明
当時のサードのレギュラー.しかしこの年は終盤戦で骨折して10.19のときはチームに帯同できずにいた.
このケガが結局尾を引き,翌年もシーズン前半を棒に振った.1992年ごろからレギュラーポジションを失い,中日・西武を渡り歩いて1999年に引退.

●吹石徳一
ケガで戦列を離れていた金村の代わりで,シーズン終盤のサードを守っていた選手.守備に定評のある内野手として,ユーティリティプレーヤーとして貴重な存在だった.現役14年間で52本塁打の選手だが,第2戦では7回に一世一代の(その時点での)勝ち越しホームランを放った.このシーズン限りで引退.現在は楽天イーグルスのチーフスカウト.
娘は女優の吹石一恵.

●吉井理人
この年の近鉄のクローザーを務めていた.
当日のダブルヘッダーでも第1戦にリリーフしているが,冷静さを欠き大乱調.それが阿波野の緊急登板を招き.....
その後ヤクルト移籍後先発に転向し,さらにメッツ・ロッキーズ・アストロズ・オリックス・千葉ロッテと渡り歩き,2007年限りで引退.この10.19の試合に出場した選手で最後の現役選手となった.

●加藤哲郎
第2戦で「涙の延長10回ウラ」に登板している.当時はそれだけのピッチャーだった.
この人を有名にしたのは翌年の巨人との日本シリーズで,近鉄3連勝時に「巨人はロッテ(1989年もパリーグ最下位)より弱い」と発言したこと.その後巨人が4連勝してしまう原因になった....かどうかは不明.翌年以降泣かず飛ばず.
その後広島・ダイエーを渡り歩き,現在は焼肉店経営.

●羽田耕一
第2戦,10回表1死1塁でセカンドゴロを打ち,ダブルプレーで最終打者になった人.栗橋と並ぶかつてのV2主力戦士.翌年引退.
近鉄フロント入り後,オリックスとの合併で現在はオリックスのフロントに在籍している.

●ラルフ・ブライアント
この年6月,当時の近鉄の4番だったデービスによる大麻吸引事件の発覚により,中日の二軍から緊急移籍して大当たりした.74試合で34HRを打っている.三振も多く,翌年以降は打率も高くなかったが,実はこの年は打率も.307という数字を残している.
翌年,西武球場でのダブルヘッダーで4打席連続アーチを打ちやがった.ちなみに4本目を打たれたのは現西武監督の渡辺久信.
1993年にシーズン204三振という,空前の記録を作っている.1995年引退.通算成績:778安打/259本塁打/1178三振.

2.ロッテ
いまや千葉マリンスタジアムを沸かせる「マリサポ」なんて,この頃には想像だにしなかったなぁ..... あのころは弱小チームの代名詞みたいな存在でした.

●有藤監督
もともとはミスターロッテとして2000本安打を放った三塁手でした.前年からロッテの監督に就任し.....何をやっていたんでしょう? チームは2年連続最下位だしなぁ.
監督時代に一番有名なエピソードがこの10.19,しかも第2戦の9分間の抗議ですからね.....
ちなみに,海浜幕張にあるお好み焼き屋「有賀藤」はこの人がオーナーの店.

●高沢秀昭
この年の首位打者.この年ロッテの3番(終盤は4番).阪急の松永と首位打者を争い,最終戦も欠場しないでプレーしたという点で評価できる打者.
第2戦で阿波野から同点本塁打を打って,近鉄ファンの恨みを一気に買ってしまいましたが,当人は「ヒットを打ちたいと思っていたが,ホームランまでは考えていなかった」とのことで,ちょっとやりすぎちゃったという感じでしょうか.あのホームランを打ってダイヤモンドを1周するとき,ずっとうつむいていたのが印象に残っています.
その後広島に移籍してロッテに戻って引退,その後もチームを支えています.

●西村徳文
この当時のロッテの1番セカンド.最終戦ももちろんセカンドを守っていたわけだが,あの第2戦延長10回表の守備で,打者羽田の時に心持ちセカンドに寄って1~2塁間を抜きやすくしたら,なぜかベースよりの打球が来てしまった....とか言う話もありますが?
その後も4年連続盗塁王,首位打者を取るなどして活躍を続け,1997年で現役を引退.その後も千葉ロッテのコーチを続けています.

●牛島和彦
中日の抑えのエースがロッテに来たのが前年.それは落合の交換要員になってしまったから.
もちろんロッテでも抑えを続け,この10.19でも第1戦,9回に登板しています.そして梨田との力の勝負に敗れた....
翌年から先発に転向し,1993年で引退しました.TBSの解説を長く続けたあと横浜の監督を2年務めました.この人の解説は理論的でしゃべりも良く,なかなか良いと思います.ちょっと爽やかすぎるかもですが.

●小川博
第1戦の先発.この年10勝をあげ,投球回数以上の奪三振数(204)で奪三振王に輝いた.
もっとも翌年から泣かず飛ばずで1992年引退.その後ロッテのスカウトなども勤めたがのちに球界を離れ,2004年に名前が出てきたときは.....強盗殺人の容疑者でした.現在懲役刑により服役中.

●ビル・マドロック
首位打者4度の現役バリバリメジャーリーガーとして華々しく迎えられた大物.しかしピークは過ぎておりこの年.263・19本塁打の成績におわり,終盤は4番を外されて6番とか7番を打っていた,典型的な「過去の栄光形」外人助っ人.シーズン終了を待たずに解雇通告を受けるも,なぜか最終戦までチームに帯同して試合に出場していた.しかも解雇通告後の打棒爆発で,第2戦では先制のホームランを放っている.
その後帰国し,メジャーのコーチなどを務めたりしている.

●水上善雄
当時の桐蔭学園出身プロ野球三大選手の一人.(あとの二人は長内と渋井)
守備はうまかったがあまり打てるほうではなかった.第2戦でサードを守っていて,新井の三塁線への鋭い当たりを横っ飛びにファインプレーしている.その後広島にトレードされた.2008年には北海道日本ハムファイターズの二軍監督.

●古川慎一
第2戦,セカンドランナーで阿波野の牽制に刺されて有藤の抗議の原因となった人.もともとは落合なきあとの和製大砲として毎年期待されたが,ルーキー時代1986年の16本塁打を上回ることは一度もなかった.1995年引退.

3.西武
この20年,本拠地が変わっていないのはなんとこのチームだけになってしまった....

●森監督
この年で監督として三連覇.翌年優勝を逃した際に堤義明から「監督をやりたければどうぞ」等といわれ,耐え忍んで監督を継続,翌90年から西武はパリーグを五連覇した.
「石橋をたたいて渡らない」「面白みのない野球」など,いろいろ言われている人ですが,「野球をやるのは選手.選手が主役で監督は脇役.」と言い,優勝時にチャンピオンフラッグを持って球場内を行進する時に先頭を歩かず,選手たちの後方を淡々と歩く姿勢には共感を覚えます.
現在はハワイ在住で,稀にNHKに出てくるくらい.

●工藤公康
この年は10勝10敗で,成績のよくなかった年.1988年~1990年は工藤の第1期低迷期といえる.
その後ダイエー・巨人・横浜と渡り歩いている.巨人時代に200勝を達成した.清原が2008年限りで引退して,1988年当時現役だった選手は彼が最後になってしまった.(←これ,マチガイです.大道も該当しますね.1988年に一軍にはいなかったけど,最後の南海ホークス戦士.)
2009年も投げるの?

●渡辺久信
この年15勝でハムの西崎・松浦と最多勝を分け合った.当時はストレートで勝負して一発を食うのが渡辺のスタイル.ちなみに髪の毛はまだふさふさだった.(笑)
晩年はヤクルトに移籍して,1年だけ台湾でも監督兼選手として投げた.西武二軍監督を経て2008年から西武の監督.

●秋山幸二
当時「メジャーに最も近い男」といわれていた.前年87年に43本塁打・38盗塁,翌89年には.301・31本塁打・31盗塁を残している.この1988年も.292・38本塁打・103打点をたたき出しており,清原・バークレオとの「30発トリオ」はたしかパリーグ初だったと記憶しております.また,この年に中日から移籍してきた平野との右中間は鉄壁を誇り,相手の走塁が目に見えて消極的だったのを鮮明に覚えております.
94年からダイエーに移籍,2000年に2000試合目の出場で2000本安打を達成,2002年で引退.二軍監督・一軍チーフコーチを経て,2009年から王監督の後を継いでソフトバンクの監督に.

●清原和博
KKコンビとして名をはせたPL学園から涙のプロ入りして3年目,西武不動の4番打者になっていた.この年.286・31本塁打で出塁率の高さと勝負強さはピカ一だった.また,西崎からやたらホームランを打っている.
その後巨人へFA移籍して,ぼろ雑巾のように捨てられたところを仰木シニアディレクターに拾われてオリックス入団.2008年限りで現役を引退した.通算525本塁打の無冠の帝王.
晩年は膝の怪我との戦い続きだったが,その原因は本来の体格を無視したウェイトトレーニングによる上半身重視の体への変化だと思う.西武時代には日本シリーズでサードもこなしていたくらいなんですから.

●タイラー・リー・バンバークレオ
前年,(ほぼ)育成目的で入団した外人.たしか年俸1000万円未満だったが,2年目でいざ試合に出すと38本塁打・90打点でAKの後ろを抑えるバッターに成長した.
もっとも翌年から泣かず飛ばずで後に広島に移籍したが,やっぱりだめだった.現在はアメリカで打撃コーチを務める.

●伊東勤
当時すでに不動のレギュラー捕手.伊東のインサイドワークは幾多の投手を育てたと思われます.
そして捕手ながらスマートな体格,20代のころは足も速く,1984年には20盗塁を記録しています.打撃も打率は低いながら勝負強く,後に野茂から開幕戦で逆転満るホームランを打ったこともあります.
捕手として実働23年は野村に継ぐ歴代2位.その後西武の監督に就任し,2007年で勇退.現在はNHKの解説者.

●平野謙
この年,中日から移籍してきた外野手で,強肩・俊足の持ち主.秋山と組んだ右中間は鉄壁を誇り,バントの名手として歴代2位の記録を持ちます.
その後ロッテに移籍し,1996年で引退.2006年から2008年まで北海道日本ハムファイターズのコーチを務めた.

●辻発彦
西武が誇った名手,身長182cmの小兵.スキのない走塁,確実なフィールディング,右打ちの徹底など,西武野球の象徴とも言える存在.
彼のセカンドを守っているというのは,ピッチャーとして心強い限りだったはず.逆シングルでゴロをとってジャンピングスローで1塁に送球,アウトにする場面は何度となく好プレー集で取り上げられました.1993年には首位打者を獲得.
その後にヤクルトに移籍して1996年にも首位打者争いを展開(最後は2位),1999年に現役を引退し,現在は中日の二軍監督を務める.とざわとしては西武の監督になってもらいたい人物.

●東尾修
西鉄以来の大エースもこの年は謹慎6ヶ月の影響もあって6勝9敗と不振で,この年限りで現役を引退してます.後に西武監督を務める.
現在はテレビ朝日解説者で,野球を見る目は鋭いが滑舌が悪いためダミ声で非常に話が聞き取りづらいのが難点.


4.その他パリーグ
●阪急ブレーブス
よりによって10月19日に身売りを発表するという,今で言うところのKYを発揮してしまった悲しい名門チーム.その後ブレーブスの名はブルーウェーブに変わり,今ではオリックス・バファローズになってしまった.
この年もペナントレースは3位で,決して弱くはなかった.身売り理由が「阪急グループとして球団を持つことの意義がなくなったから」だそうで.....
大エース山田久志がこの年で引退.東尾も引退して残る「昭和のパリーグの大エース」は村田兆治だけになりました.

●南海ホークス
10.19の時点ですでに身売りを発表していた.この年までで11年連続Bクラス(このあとも10年近く続きます)で人気も低迷.大阪球場の外野席は最後までコンクリート打ちっ放しのスタンドだった.スコアボードのパネルは手書きのままだったし.....
その後,福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークスとなったが,いまではすっかり地域密着型球団として生まれ変わった.こんな姿,当時は想像できなかったなぁ.

●門田博光
この年40歳で打率.311・44本塁打・125打点を放ち,チームは5位ながらMVPに輝いた.「不惑」「熟年パワー」などといわれて新聞に出ることが増えた.
しかしチームはこの年で身売り,翌年から福岡でプレーはできないと駄々をこねてオリックスに移籍し,ブルーサンダー打線の一翼を担った.その後1992年に福岡ダイエーに移籍し,1993年で引退.現在はめったにマスコミにも出てこない.(一説によれば病気とか...?)

●日本ハムファイターズ
この年4位.地味なパリーグでも,たぶん相当地味だった.その理由のひとつは,巨人と同じ東京ドーム(前年までは後楽園球場)が本拠地だったから.
その後東京時代に優勝することはなく,2004年に本拠地を札幌に移し,名前も北海道日本ハムファイターズになり,MLB帰りの新庄も加入して,パリーグ2連覇を達成しました.いまや北海道に完全に根ざした球団になったといえるでしょう.

●西崎幸広
この年2年目のトレンディーエース.(古い...)
2年連続で15勝をあげ,当時貧打にあえいでいた日本ハムの屋台骨を支えていました.この年は21試合に完投してます.当時は先発した2試合のうち1試合くらいは各チームのエースは完投していたものですが....
その後1997年に西武に移籍,一時期クローザーを務めました.現在はNHKの解説者をされております.

5.その他
●朝日放送・テレビ朝日
この日のダブルヘッダーを完全生中継したのが朝日放送.その顛末は「ここ」に詳しいので参照されたい.
しかし,今かんがえてもゴールデンのレギュラー番組を飛ばして近鉄・ロッテ戦を生中継するのは,なかなかできることではないなぁと思います.だって近鉄・ロッテ戦ですもんねー.
そしてテレビ朝日もレギュラー番組の途中途中で朝日放送の映像をスポットで流していたのが,大量の「野球中継をしてくれ」という電話に押され,ついに午後9時から野球中継に切り替わる.しかも1時間,スポンサー無し(CMなし)の完全生中継で10時からのニュースステーションに繋げるという前代未聞の大技に出ました.
結局,この日の中継は視聴率が関西で46%,関東でも30%になり,ニュースステーションの歴代最高視聴率を記録したそうな.
そのニュースステーションも2003年度いっぱいで番組を終了しました.

投稿者 とざわ : 20:11 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月18日

八幡平の紅葉

本日も天気がたいへんよろしく,八幡平の紅葉を見に出かけてきました.
まあ,西のほうでは京阪1900系の営業最終運転なんてのもあって,ちょっと心惹かれたりしたのですが,なにぶん先立つものがないので断念したという次第で...

といっても今日はスロースタート.なんせうちを出たの9時半ですから.
北上江釣子ICから西根ICまで,昨日と全く同じ区間を高速で走って,松川渓谷にある森の大橋に着いたのは,11時過ぎですかねぇ.


橋の上から松川の下流方向を眺めたアングル.ちょうどいい日に来れたのかなー.


当然,橋の下には川が流れているので,紅葉と川の流れを絡めてみる.


こういうカットを撮るのは,実は結構怖かったりします.


上流側.人工的な滝になっております.河原も広くて,この少し上流には,車で河原まで行けるところがあります.


滝の流れをバックに紅葉をクローズアップしてみました.


その,少し上流側の車で降りていけるところ周辺.撮影ポイントをちょっと動くだけで,アングルが変わります.


望遠で,川と背後の紅葉だけを切り取ってみたの図.


川の反対側.玄武岩の崖です.崖の上には紅葉がやはり展開しております.


こうやって見ると,玄武岩の崖の亀裂が幾何学模様のようにも見えてくる感じがします.


ちょっと透過光で撮ってみました.なんかアングルが甘いような気がする.....(←ウデが無いから)


こんなのも秋を演出する道具になりますかねぇ.


そのあと,もうすこし上流の砂防ダムのあたりまで行ってみました.ここも公園になっております.
ちなみに,写真を撮ってるのは,その砂防ダムの天端.


もうすこし奥まで行くと,松川地熱発電所.ちょうど松川温泉のあたりです.
ここって,じつは入社2年目くらいの時に来たことあるぞ....と,現地に行ってから気づきました.その時は八幡平リゾートホテルに泊まった記憶が.

じつは,これだけで帰ってきました.途中,盛岡で昼食&買い物してますが.....
現地滞在3時間弱でしたが,じゅうぶん満喫できました.

この秋はあとどこを見に行けるのかな.....?

投稿者 とざわ : 22:03 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月17日

FASTECH撮影 ほか

本日は休みでした.(明後日仕事です...)
というわけで,久々に天気のいい休日にこちらにいるので,岩手山バックの東北新幹線を撮りに行くことにしました.以前,JR東日本のカレンダーにも使われた場所です.

本日はいつもと同じ時刻に起床して,7:20すぎに車で出発.東北道を西根まで走ってそこから沼宮内へというルートで,北緯40度公園に8:50ごろ到着.
晴れですけど岩手山は見えなかった.....(泣)


で,せっかく来たのでそれでも写真を撮っていたわけですが,偶然にもこんなん来ました.高速走行試験車“FASTECH”です.らっきー.


せっかくなので,いわて沼宮内のホームで上り走行も撮ってみました.側面逆光は承知の上ですが...

このあとあっさり帰宅.しかもETCの割引が日中は無いので,ひたすら4号を北上まで(正確には花巻まで,花巻からは1本隣の県道です)走って高速代をケチりました.

そのあと,仙台に新幹線で出かけました.出かけましたが.....


たまたま古川にFASTECHが停まっていたので途中下車.掲載は両端の先頭車だけにしますが,8両すべて形式撮りできました.逆光も16時過ぎだったからそんなに気にならず.


16:28にFASTECHは八戸に向けて発車していきました.感度800にしてなんとか1/1000が切れました.

その後新幹線に再び乗り,仙台へ.仙台では空港アクセス線に乗りに行きました.今更というネタですが,乗ったこと無かったわけで.


空港駅と空港ターミナル.実は仙台空港に来ること自体初めて.


駅構内の様子.ホームから出発ターミナルまで段差無しでアクセスできるのはすばらしい造りです.

このあと仙台でたんとうふをいただいて,はやて31号で北上に戻ってきました.

そういえば空港ターミナルを見に行ったときに,ANAからのアナウンスでこんなこと言ってました.
大阪伊丹空港行き18時50分発740便は,お客様混雑のため座席が不足する可能性があります.そのため,別の便への変更をご協力いただけるお客様を2名募集いたします.変更となる便は,明日10:00発の734便で,大阪伊丹空港着11:20予定でございます.ご協力いただけるお客様には,お礼として2万円と,宿泊費および交通費をお渡しいたします.
しっかしなぁ,金曜夜の大阪行きで,たぶん出張帰りとか単身赴任帰りの関西人が大多数と思われるわけで,誰か協力したんだろうか? でも大阪人なら計算高く2万円に釣られて協力する人がいるかも.....

投稿者 とざわ : 22:19 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月11日

釣り銭

さきほど,自販機で缶コーヒーを買いました.そこはいつも100円で販売しているので,その前を通ると,つい買ってしまうことがあるんですが.

で,あいにくと100円玉を1枚も持ち合わせておらず,1000円札で買ったわけです.しかしその時の釣り銭の構成が・・・・・

 ●100円玉 × 1枚
 ●50円玉 × 9枚
 ●10円玉 × 35枚

これってどういうこと? ナメられてんのかしら.

投稿者 とざわ : 16:38 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月10日

サロ110-1200

どうやら,まだまだスカ線・総武快速線にサロ110-1200は健在のようで.....(藁)

左端になんか幻が写り込んでいるというウワサも.

投稿者 とざわ : 23:21 | コメント (2) | トラックバック

2008年10月09日

大人買い目撃

ちょいと東京に戻っているわけですが・・・

さきほど,東京行きの東北新幹線に乗っていまして,座席でぼーっとしていたのですが,車内販売が回ってきたときに,自分のすぐ前の席の方のところで,

「お待たせいたしました.薄皮饅頭をお持ちしました.」

と言いながら,でっかい袋を2つ渡しました.
で,お勘定が「いちまんごせんなんびゃくえん・・・・」とか言ってました.

薄皮饅頭,いったい何個買ったんでしょ? 賞味期限までにどうやって食うの? なんて余計な心配をしてしまったり.(職場とかで配るのかな?)

投稿者 とざわ : 23:41 | コメント (1) | トラックバック

2008年10月05日

人車鉄道


家の倉庫を整理していたら,大正時代(と思われる)の人車鉄道の写真が出てきたのでスキャンしてみました.

(↑)大ウソです.

宮城県大崎市の松山町地区にある「御本丸公園」に保存されている人車です.毎年,コスモス祭りの開かれるこの時期(だいたい日曜日のみ2~3日)だけ走らせるので,見に行ってみたという次第.
朝は普通に起きて,朝食して,北上を出発したのは8:40くらい.北上江釣子から古川までは高速道路で100km未満なので,通勤割引適用で1,250円で済みます.ガソリンも高いので飛ばすことなく定速運転に努めます.

御本丸公園には10:15くらいに着き,駐車場から山(ここは典型的山城)をちょっと上ると,そこがコスモス園になっていて,周囲にレールが敷かれております.


これがその人車.定員は8人らしいです.(「何人くらい乗れるの?」という質問に押し手の人が「8人くらいですかねー」と応えていただけのことですが)
レバーがブレーキになっていますが,まったく使われておりません.


走行風景.現在のご時世から言えば,のどかを通り越して呆れるくらいの遅さですが,明治・大正期には貴重な輸送手段だったんですねぇ.....
人力車より大量輸送できますもんね.


停留場.(藁) Ω型に敷かれた軌道の両端で乗り降りする形態になってます.ちなみに運賃は1回200円.(子供無料)


車止め.レールはマクラギに犬釘で直付けです.あたりまえですがタイプレートや軌道パッドなどは入ってません.


ここが車庫ですかね.たぶん夕方までいれば格納風景を見ることが出来たのでしょうが....


園内のコスモス.いろんな品種のコスモスが植えられておりました.

これで見学・試乗(←写真無し)は終わり.このあと昼食すべく移動するわけですが,無性に牛タンを食べたくなって,駐車場に困らなさそうな店と言うことで多賀城の利久まで車を走らせて定食1.5をいただきました.
午後からは石巻まで行って石ノ森萬画館を見ました.館内で石ノ森章太郎原作のアニメ主題歌が流れていましたが,やっぱ「誰がために」が一番ですなー.受付を003がやっているのは想定の範囲内でしたが....2人いちゃイカンだろ.

そのあとふたたび仙台に戻ってヨドバシで石油FFを購入したりして,帰宅しました.


多賀城から石巻へ行く途中,1枚だけ仙石線を撮りました.虻田~陸前赤井間.

投稿者 とざわ : 23:59 | コメント (0) | トラックバック