2011年09月19日

仙石線・石巻線被災箇所

大船渡線撮影から明けて翌日.
前日で本来の目的をほぼ達せられたうえ,天気は曇り~小雨ベース.車は夕方まで借りてるし新幹線も抑えてあるし..... ということで,一関市にいるのに宮城県方面へ,鉄道の被災状況をこの目で見ようと仙石線~石巻線方面へ足を伸ばしました.

土木屋として,ぽっぽやとして,いろいろと考えさせられました.変状の原因もですし,どう復旧させるのが目指す道なのかということ,沿線との関わりはどうあるべきか,などなど...

写真もいろいろと記録の意味で撮影してきましたが,ここに出す性格のものではないな... と思いますので,公開は差し控えます.技術屋のはしくれとしての自己研鑽用資料という位置づけで,手許に置こうと思います.

そんなわけで,夕方一ノ関で車を返し,はやて220号で帰京しました.

投稿者 とざわ : 22:29 | コメント (0) | トラックバック

2010年07月16日

さらば餘部橋りょう

本日を以て,山陰本線の餘部橋りょうが供用を終えることとなりました.
いろいろ事情もあり,それについてはワタクシも理解できるだけに,やむを得ないかなぁ… とは思いますが,残念は残念ですね.

結局,2006年1月に訪れたのが最後となってしまいました.
写真はその際に撮影した寝台特急出雲.この列車もすでになく…

新橋は8月に供用を開始,名称は… やっぱり餘部橋りょうだろうなぁ.

投稿者 とざわ : 23:23 | コメント (0) | トラックバック

2010年04月17日

土木技術の活用法

何度も書くように,ワタクシは土木屋.とうぜん,会社の上司も同僚も土木屋ということになります.そんな中には土木の技術をそれ以外にも応用しちゃうような人もいたりします.

よく,サラダバーというのがありますね.いまの会社の社員食堂にもありまして,器に盛り切りで150円なんですが,1回盛り切りなのでたくさん食べようと思ったら,効率よく盛るしかないわけで,そこに土木の考え方を応用するのがワタクシの上司.かつては中日ドラゴンズで4番を打っていたというウワサもある人物だったりします.(爆)

サラダバーを器(小型のサラダボウル)へ盛るのに,
 1.ポテトサラダを底に敷くことで基礎を作る.
 2.周囲にレタスの葉を並べて土留めにする.
 3.もういちどポテトサラダを入れて根固めをする.
 4.レタスの内側に1/8切りのトマトやスティック上のキュウリを並べ,剛性を高める.
 5.真ん中に千切りキャベツやオニオンスライスなどの安定性の低い素材を盛る.
 6.上にゆで卵の1/4切りをのせてカウンターウェイトにする.
 7.コーンは盛りの途中にあると辷り面を形成するので一番上にのせる.
などの方法で,器の大きさを遙かに超える分量のサラダを盛ってきて食べてます.

で,その上司曰く,
「トマトが1/8切りじゃなくてスライスになっていて,アスパラがあればもっと盛れる」
と言います.なんでも,上記の「2.」に替えて
 2’.アスパラを器の底のポテトに差し込んで親杭にして,トマトスライスを横矢板にする.
ことで親杭横矢板方式の土留めになって,さらに安定性が増すかららしいです.

こういう上司にはかなわないなぁ.....

投稿者 とざわ : 22:51 | コメント (2) | トラックバック

2010年04月07日

超極秘プロジェクト

つ,ついにあの物件が発注になったらしい…

認めたくないものだな… この不景気に,超大型案件を受注できる会社があるとは.

投稿者 とざわ : 22:16 | コメント (0) | トラックバック

2009年12月13日

関の沢橋りょうを歩く

大井川鐵道井川線を歩いてきました.
今回,接阻峡温泉~閑蔵間で工事施工のための運休を行うことになり,その期間を利用してのウォーキングを大井川鐵道で企画・募集したものに参加してきたわけです.

事の起こりは10日ほど前,大学同期のせ氏からのお誘いメールでした.二つ返事で「行く!」と言うことになり,せ氏に申し込み等をお願いしておりました.そうしてどうやって行くかなどの打合せをメールベースで進めていると,そのうちせ氏が風邪,ということになり,おららー,早く治さないとなどと言っていたら3日前になってもせ氏は風邪が治らず,医者に掛かったところ「A型インフルだー」などという連絡が.

んなわけで,自分一人で参加してきたわけです.

前日藤枝に泊まって,7:00に車でホテルを出発して千頭を目指します.しかし,ホテルを出るときに一応カーナビを千頭駅目的地でセットしたら,藤枝ICから東名高速に乗って静岡ICで降りて,R364を北上しろ等というルートを推奨してくるし.....
実際には藤枝BPから島田・大井川左岸を経由して向かいましたが.


千頭駅8:15到着.すでにそれらしい人が数名,駅舎内におられました.
たぶん電車で来た人ですね.

しかし天気いまいちなのが残念.


8:30から井川開発事務所南アルプスアプトセンター庁舎前にて受付開始.4500円を払って切符とお弁当,それに井川線のパンフを貰いました.


これがその切符.特製の切符でありまする.

で,8:55発の接阻峡温泉行きで移動開始.客車2両なのでけっこうな乗車率になりました.
そしたら奥泉で前日寸又峡温泉に泊まってきた別のツアー客も乗ってきて,井川線でまさかの満席・立席発生.この人達は奥大井湖上で下車していきました.

10:01,接阻峡温泉に到着.各自歩いて代行バスの乗り場である「資料館やまびこの駐車場へ向かいます.
参加者は地元紙の募集広告を見て応募してきたトレッキングを趣味とする年配者が多く,鉄ヲタはごく数名という感じでした.


これが代行バス.本家の列車よりよっぽど立派なんですけど...

ちなみに,このバスは毎日千頭から回送しているようです.列車の中から長島ダム駅付近で列車を抜いていくこのバスを見ましたので,たぶん間違いないかと.


列車と違ってわずか5分で閑蔵に着きました.
バスは駅前に入れないので,駅への上り坂を歩きます.(すぐですが)


変わらずタヌキの置物が出迎えます.


変わらぬ新聞輸送.代行バスで持ってきてもここに置くようです.


閑蔵駅にて参加者はみなヘルメットを渡されます.なんでも今回のツアーを実施するにあたり,運輸局からの条件として参加者全員のヘルメット着用が義務づけられたのだとか.
そんなわけで,大鉄だけでなく中部電力や国交省長島ダム事務所など,関係各所からかきあつめたヘルメットが配られました.

あと,大鉄社員の方から,線路を歩くときはマクラギが滑りやすいので真上に乗らない感じで歩く方が安全,というような話もありました.


大鉄社員の先導で,運転中止区間へ歩き出します.みなさん線路を歩くのは(当たり前ですが)非常に珍しい体験だ,などとおっしゃっておりました.
自分は珍しくも何ともないんですけどね...(藁)


路盤が狭いので,一列縦隊で線路中央を歩きます.


そのままトンネル内も歩きます.
今回のツアーでは,参加者に懐中電灯・ヘッドライト等の持参が求められておりました.で,みなさんトンネル内では足下を照らして歩いておられます.
懐中電灯で足下を照らさないでトンネルのアーチ部を照らして歩いたりしてる人は......およそ1名くらいでしたね.(苦笑)


橋マクラギの交換も行われているようです.写真は発生品.捨てるなら産廃処理しないと!


落石は.....来てるんだろうなぁ.


発生マクラギによる落石止め柵.


そして閑蔵を出発して30分弱で,今回のメインイベントの一つである関の沢橋りょうへ.


ここでは橋側歩道を歩くのですが,さらに安全帯を着けて歩くことになっておりまして,これも関係各所から集められた安全帯が配られました.
ただし,一度に全韻文の安全帯が無いので,先発隊・後発隊に分かれることになりまして,自分は後発隊となりました.みなさん,安全帯の扱いに四苦八苦されていましたね…

で,この待ち時間で数名でしゃべっていて,大鉄の方に「鉄道の方ですか?」と指摘されてしまいました.(あぁ図星)


ま,一人だけこんな着眼点で歩いていればバレるかもねぇ.....
(どうも歩き方でバレたようでしたが)

ちなみに,関の沢でしゃべり込んでいた面子が全員業界人っていう状況だもんなぁ.....


橋の上から撮ってみました.さすがに高さ103mといったところか.
歩いてて怖いとおっしゃっている方もちらほら見受けられました.

しかし安全帯を着けて1列で歩くので,自由に動きが取れません.たぶん安全帯がなければ自分は線路内に入ってマクラギ上を歩いたと思われ.


あの辺に撮影場所がある.....はず.


反対側に渡って振り返ってみる.
ちょうど橋りょう名が記載されてあってちょうどよかったかなと.


ちょっと支承を.桁全体といっしょにドブ漬けされてて綺麗ですね.
ペンキ塗るよりこのほうが正解だろうなぁ.


関の沢橋りょう起点方には分岐器があって,水力発電所の送水管への専用線が分岐してます.


こっちも歩いてみたかったなぁ.....


鋼製セントルで補強されたトンネルもありました.
しかしまぁ,素堀だったり吹き付けだったり,いろいろな覆工がありますなぁ...


さらに歩きます.みなさん的には構造物が何だとかは関係ないので,見晴らしのいいところでなければひたすら歩くだけです.


検知装置の設けられたところも多々ありました.まあ落石というか土石流というか,それ系の検知装置ですなぁ.


補強された土留擁壁.ズバッと割れてます.


中には波板で屋根をかけているトンネルも多々ありました.おそらく漏水よけだと思うのですが,アンカーの腐食とかは大丈夫ですかねぇ.....なんてライトで照らしながら歩いてると,中には取り替えられたアンカーもあったので,ちゃんと検査してるんだなぁと思った次第.


中々エグいかも.


そんなこんなで11:40くらいに尾盛駅に到着.


ここで昼食にしま~す,とのお言葉.
しかし尾盛駅でこれだけの人数を見るとは...... 「あり得ない光景ですね」とは大鉄社員の方の弁.(横でしゃべってた)


構内でめいめいにお弁当を広げます.みなさん同じお弁当.
飲み物は各自用意ってところが大鉄クオリティ?


こんな感じで施設を撮ったり,レール長さを歩測してたりしたら,大鉄の方に「22kgの10mレールですよ」なんて教えられてしまいました.
ここの他には黒部峡谷鉄道くらいでしか使われていないこと,だいたい年間150本くらいずつ交換されていることなどをお聞きしました.


食事後,周囲を散策.昔は使われていたであろう林業小屋.すでに廃屋となって久しく....


昼食後は尾盛駅構内で記念の植樹.ちなみに主催は長島ダム事務所でした.
しかしどこぞの会社がやる植樹式と違って,某大学の名誉教授の挨拶だとか社長や県知事の挨拶とかが無いのが良かったっす.(藁)

植えたのはサクラとドウダンツツジ.シカに食われなければいいんですが...

植樹を終えて,再び歩き出します.天候も懸念されるので予定よりちょっと早めのスタートになりました.


関の沢橋りょう以外では,橋側歩道がないので,線間の歩み板上を一列で歩きます.
こっちのほうがよっぽど危険度高いと思うのだが.


渡ったところで,土留擁壁の補強工事の現場でした.
今回の区間運休はこの工事を一気にやるためでして,列車を通しながらだと土留めにアンカーを打てないので,それなら運休して一気にやることになったそうです.
簡単に列車止めて工事できるのはいいなぁ,なんて思ったり.


この区間,林道(正式には町道ですが)が並行しています.この吊り橋は健全のようでした.


しかし次の箇所では歩み板の腐食もあって通れない状況になっていました.


トンネル覆工でコンクリートが打たれているところですが,アーチ天端に変状が結構多く,亀裂や空洞が散見されました.
ひょっとして逆巻きで施工された?

 
沿線には本当に石積擁壁が多いです.これらも順に補強していくのかな?


そんな感じで歩いてきて,いよいよ接阻峡温泉に到着.
いやぁ,貴重な機会でした.
14時すぎに到着しまして,15:01発の列車までは自由時間になりました.温泉に行った方もいらっしゃったようですが,大半は駅周辺で時間を潰していたようでした.

で,自分は線路に並行している林道を探索に行ってみたのですが....


入り口にこんなんが.
要するに立入禁止ってことなんだろうな,と.

でも100mくらいだけ奥に入ってみました.


ちょっと一人で行くのはイヤだなぁ....というわけで.(苦笑)



その後,集落を散策.接阻大橋から周囲を見渡してみました.
相変わらずのんびりしたところです.

しかし,上の写真を撮っていて,旧道の方に黄色いバックホウがいるのが目に付きまして,望遠レンズで覗いてみたのですが.....


あらー.
しばらく関の沢の撮影地には行けそうも無いぞっと.

その後15:01発の列車で千頭まで戻りました.
さすがに疲れてうつらうつらしてました.

千頭で解散となり,雨も降り出していましたので,さっさと退散.相良牧之原ICから高速に乗り,富士川SAで食事したり途中で若干渋滞に引っかかりつつも21:00には浦和まで戻ってこれました.

いやー,満喫満喫.

投稿者 とざわ : 23:15 | コメント (0) | トラックバック

2009年05月31日

大日影トンネル遊歩道

先日24日のことなのですが,山梨に行ってきました.
2年前に開設された大日影トンネル遊歩道を一度見に行きたいと思っていたのですが,東北勤務になったりしていままで伸び伸びになってました...
日曜の朝,特に目覚ましをセットもせず,なぜか普通に目が覚めて,しかも天気悪い...ってことで当日の思いつきで行ってきました.


新宿まで出て,ホリデー快速ビューやまなし号に乗ります.いまや湘南ライナーかこの列車くらいでしか乗ることの出来ない215系,実に5年ぶりの乗車であります.
昔はこの車両に乗って昼にピザを食う....恐ろしく内輪ネタですが.

中央線をのんびり走って勝沼ぶどう郷に10:54着.さっそく歩いて大日影トンネル遊歩道にむかいます.


駅側の坑口です.ここが遊歩道になったいきさつはこのへんを読んでください.


坑口脇にはいろいろとあります.ちゃんと歩くときは見張りダイヤを持参してください.(嘘)


中を歩いていくと,内壁にはいろいろとあります.抜け落ち防止のネットとか,現役時の設置したものそのまんまですね.


壁面には大昔からの煤も残ってます.服が汚れますので下手に寄りかからないように...


待避坑.いまも遊歩道の休憩所っぽく整備してます.中には各種エピソードを記したボードなんかもあります.
もっとも電話は殺されてましたけど...(当たり前)


さらに進んでいくと,SL下が花崗岩の石積みになっている区間がありました.ちょうど断層を横断する構造のようであります.


やっぱり注意喚起の表示が必要....なんですかねぇ.たまに足を落とす人でもいるのかな.


漏水の多い箇所のようであります.覆工裏の水を抜く算段をいろいろいるようで.


これらもまだ残ってます.遊歩道は現役時代と同じ片勾配ですので,慣れない方は歩くと疲れるかも.


全面レンガが見えるところで1カット撮影してみました.


照明の無い側の覆工面を写してみる.イギリス積みが一目瞭然ですねー.


起点方坑口付近に置いてありました.たぶん毎日遊歩道を閉じる前に点検するんでしょうかねぇ.


起点方の坑口(深沢口)にでました.


後ろ側(起点方)には旧深沢トンネルがワインカーヴとして活用されています.


終点方まで戻ってきました.ちょうど並行する現トンネルから山スカが走り抜けていきました.


駅近くの駐車場に留置されています.余計な飾りが.....


その脇にこんなのまでありました.
ったく,自己顕示欲の強い奴だ.>Monkey valley

このあとは甲府駅前でほうとうの昼食をいただき,なぜか身延線経由で戻ってきました.>暇人

投稿者 とざわ : 20:39 | コメント (0) | トラックバック

2009年04月11日

七戸(仮称)駅

本日は休日.とはいえ特に予定は無くて,朝食を終えて考えていたのは「昼は何を食べよう...」なんてことでした.
で,出した結論が「手打ちうどん食いたい」でした.そんなわけで,ちょっと手打ちうどんを食べに車でつがるわら家まで行ってきました.

その帰り,単純に来た道を帰るのも何だなぁ...ということで車を走らせていて,建設中の東北新幹線七戸(仮称)駅を見ました.


建設中の七戸(仮称)駅.急ピッチで工事が進められています.場所は道の駅しちのへのすぐ北側.

しかし,何もわざわざ新しいのを作らなくたって,七戸駅ならちゃんとあるじゃん! なんていうツッコミはNGですかねぇ.....
第一,新駅建設地の周囲はこんな状況なんだし!

投稿者 とざわ : 21:42 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月05日

5年が過ぎました.

このエントリは,思いっきり日付さかのぼりで作っております・・・

これとよく似たアングルの写真,このブログを読んでくださっている方の中にはみたことのある方が数名はいらっしゃるかと思います.

そうです,あれから5年です.
そしてその地に再び戻ってしまったですよ.

そして今頃何を言ってもだけど,あの写真を撮ったのはオイラだい.

投稿者 とざわ : 20:45 | コメント (0) | トラックバック

2007年09月23日

前田建設ファンタジー営業部NEO

珍しく土木書(たぶん土木書ではないかと思う…)について書きます.

前田建設工業株式会社のwebサイト上で,土木技術のエッセンスやゼネコン業務の内容をわかりやすく発信する目的で公開されているファンタジー営業部のプロジェクト第2弾,メガロポリス中央ステーション銀河超特急999号発着用高架橋の設計・積算をする内容であります.第1弾のマジンガーZ格納庫も単行本化されていて,当然購入済みのワタクシですが,今回も大まじめに無駄な検討を(しかも現存の技術を駆使して)しているところがすばらしいです.社内の技術陣だけでなく,社外にも技術検討を持ちかけるなど,これは企業の広報活動をちょっと超えてますよね,と思うわけで,こういう仕事なら広報という仕事もやっていいかなとか思います.
(実際には企業の広報活動というより社員のサークル活動に近いものがあるようですが…)

とはいえ,本当にまじめに技術の議論をした内容でして,こういうのをテキストにして大学の土木教育の初歩をやったら,もうすこし面白いのかもなぁ,なんて自分の学生時代の講義を思い浮かべながらいまこのエントリを書いてます.しかも今回の対象構造物は鉄道構造物だから,鉄道土木屋のワタクシとしてはなおのこと面白く真剣に読ませていただいております.

しかし,用地代抜きにしても37億円かぁ… 案外安い!

書名:前田建設ファンタジー営業部NEO
著者:前田建設工業株式会社
出版:幻冬舎
定価:1300円+税65円
ISBN:978-4-344-01349-0

投稿者 とざわ : 20:22 | コメント (0) | トラックバック

2007年02月12日

隅田川橋りょうウォッチング

今日は鉄道とはほとんど関係なく,隅田川を歩いてきました.隅田川に架かる橋はいろいろと意匠に凝った鋼橋が多く,一度見て歩いておこうと以前から思っていました.天気がよくて暖かく,風もない絶好のコンディションだと思い,朝食後出発しました.新宿で都営大江戸線に乗り換え,勝どき駅には10時15分頃着きました.
というわけで,撮り歩いた橋の写真何ぞを.(あぁ土木的)


まずは勝どき橋から.ここは以前,中央径間の桁が跳ね上がり,大型船が通る構造だったのですが,道路交通量の増加によりいまでは跳ね上げは行われなくなっています.(いまでも構造的には跳ね上げることは可能だったような気が...)元々は「勝ち鬨の渡し」があったところで,昭和15年に架橋されてます.


隅田川の護岸は,大部分が「隅田川テラス」として整備され,散策などがしやすくなっています.なので天気のよい休日などは,散策はジョギングなどなど,様々な方が来ています.


佃大橋.昭和39年の架橋までは「佃の渡し」が通っていたところ.


対岸は佃島です.もっとも,昔ながらの雰囲気はかなり薄れていますが...


中央大橋.平成5年の架橋.大川端リバーシティの近くに位置し,斜張橋として景観設計にも配慮されている(んだと思います).


永代橋.よく夜のライトアップされた景観が,ドラマのバックなんかに使われますが,昼間見てもいい形のアーチ橋です.ただ,夜景だとバックのビルや高速道路を消し去ることも可能なのですが,昼間はそうも行かないところが,見た目としてちょっとなぁ...と思う部分です.
もともとは「深川の渡し」があったところ,江戸中期に最初の橋が架けられたんだそうです.


隅田川大橋.名前からはもっとも代表的な橋かと思いきや,単なる道路橋です.上は首都高で,いわゆる「箱崎」です.


清洲橋.ここも鮮やかなブルー系の塗装がなされ,特にライトアップ時は目立つ存在です.架橋は昭和3年.当時の桁がいまも現役です.


清洲橋を過ぎると,左岸側に小名木川の合流地点.橋は萬年橋です.


清洲橋近くのテラス.すっかり雰囲気は春です.そんなわけで,冬の格好で歩いたワタクシはすでに汗かき状態でありました.


新大橋.もともとは両国橋が「大橋」と呼ばれていたので,元禄時代に架けられたときに「新大橋」と名付けられたらしい.いまの桁は昭和51年架橋の斜張橋で,日中はピアの黄色が目立ちます.夜はライトアップされ,グリーンとイエローのグラデーションになるんだと思いました.....
ドラマ「ロングバケーション」のロケ地.


首都高両国ジャンクションです.単なる道路橋.


両国橋.江戸時代からある橋の一つ.もともとは武蔵国と下総国を結ぶ場所で,そのため地名が両国になったといわれています.いまの桁は昭和7年の架橋だったかと.


両国橋のたもとは神田川の合流地点で,柳橋がかかっています.柳橋付近は屋形船の船だまりでして,江戸情緒をいまに伝える場所.


総武線隅田川橋りょう.昭和7年の架橋.この写真を撮る直前に183系が通過したんだよなぁ.....(ぶつぶつ)

所要2時間,ここまで来て昼食.半ば行きつけの店と化している“ちゃんこDining 安美”でランチの日替わりちゃんこをいただきました.
でもちゃんこで豚肉が入る「肉ちゃんこ」って,ちょっと邪道な気がする.美味しいからいいんですけど.


午後の部スタート.蔵前専用橋という,いきなり知らない橋が出現.
よく見ると何やら管を渡すための架橋のようでした....(中身は何?)

 → 調べたところ,NTTの電話通信線を渡しているようです.


蔵前橋.黄色の塗装がいやに目立ちます.どうやら昨年度塗装されたばかりらしい.ちなみに架橋は昭和2年.
主構造となるアーチが10本並んでいます.


もともと蔵前という土地柄,高覧のデザインも凝ってます.隅田川を行く屋形船と相撲の横綱土俵入りデザインでした.


厩橋.3連のアーチ橋で架橋は昭和4年.
もともと江戸時代に木橋が架けられ,その後トラス橋を経て現在のアーチ橋になったのだとか.
江戸時代は有料の橋だったらしく,その通行料の徴収をしていたのが中村主水だから橋の名前が厩橋になったのだとか.(←大嘘)


駒形橋.ここも昭和初期の架橋で,いまもその当時の桁が現役です.
ワタクシ的には駒形といえば「どぜう」なんですけどね.....今日は行きませんでした.


吾妻橋.現在の桁は昭和6年架橋.浅草の顔の一つともいえる場所で,水上バスの乗り場にもなってます.


その水上バスの乗り場.いやぁ,こんな混んでいるとは思いませんでした.


この浅草周辺が,もっとも人の多いところでした.
こんな風景もそこかしこに見られ,一見平和な春の休日という感じですが,高覧の汚れを見るにつけ,その善し悪しもあるかなと.....

ここが一つの区切りかなー,などと思っていたのに,まだ続行.


東武伊勢崎線隅田川橋りょう.ちょうど8000系電車が浅草に到着するところでした.


言問橋.昭和3年架橋のゲルバー桁.東京大空襲でこの橋を通って逃げようとした人が数多く犠牲になられたとか.....合掌.


桜橋.隅田川唯一の人道橋.このあたりの両岸は桜の名所であり,またこの橋の下流に位置するのが「隅田川花火大会」の打ち上げ場所.(桜橋は立ち入り禁止になりますけど)
でこの橋,こうやって横から見ると何の変哲もないゲルバー桁に見えますが....


実は桁全体がカーブしております.
それで,桁の反対側へ行ってみると.....


もう一つの桁が合流してます.

というわけで,この桜橋,上から見るとX型の桁になってます.詳しくはgoogle earthからコピーした航空写真を見ていただけば,一目瞭然です.


白髭橋はペイント工事の真っ最中でした.アーチが見られません.


白髭橋の西側あたりは橋場といいまして,むかしむかし不二楼という料亭があってこんなかわとがしつらえてあったとかなかったとか.....(笑)


さらに上流へ進んで水神大橋.このあたりまでくると左岸側は鐘ヶ淵,右岸側は南千住ということになります.


鐘ヶ淵といえば,むかしはこんな風景があったとかなかったとか.....という冗談はさておき,いまは東京リハビリテーション病院が威容を誇ってます.この奥に東武の鐘ヶ淵駅があるはず.


千住汐入大橋だそうです.あっしの道路地図には載ってません.いつできたん?
このあたり,足に相当疲労が来てます.かなり投げやりモード.


(手前から)JR常磐線・つくばエクスプレス・東京メトロ日比谷線の隅田川橋りょう.すべてトラス橋で並んでいます.
写真撮影で列車通過時を狙ったら,もうすぐここを通らなくなる415系が来てくれました.


最後は千住大橋.これも昭和2年架橋のアーチ橋.本当は横からのアングルを撮りたいのだけど,下流側は撮れる場所に立ち入れないし,上流側はごらんの通り管路が通ってまして..... 仕方なく道路に立っての写真撮影です.
この千住,むかしから日光街道の宿場町として栄えたはずで,田毎庵というそば屋があって,よくそこに越後のちりめん問屋の隠居が訪れていたらしい.....(藁)


そういえば,千住はそういう場所でもありました.
そして,ここまで船で来てここから街道を旅立つのね.ということは,ここまで歩いたワタクシはアホ?

このあとは,千住大橋から京成に乗り,日暮里経由で帰宅しました.

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そんなわけで,勝どき橋から千住大橋まで歩いてしまいました.非常に疲れてます.
とはいえ,こうやって一度に多くの橋を眺める機会もなかなか無いもので,たまにはいいですね.アーチ橋が多いのも,昭和初期に架橋されたところが多く,当時の流行が見えてくるなぁというわけで.

投稿者 とざわ : 22:28 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月19日

青函トンネル最深部探検ツアー

いよいよこの旅行のメインイベント,「青函トンネル最深部探検ツアー」の日になりました.青函トンネルウォークは毎年行われてきましたが,今年は新幹線工事が始まる最後の歳と言うこともあり,通常は公開されることのない先進導坑を特別公開し,ここを歩くことの出来るツアーとして設定されたものです.

ツアーは6:20~6:45のあいだに函館駅改札横で受付とのことでしたので,事前に函館朝市で朝食をいただくこととし,5:45にホテルを出ました.


まずは朝食.前日に引き続き“きくよ食堂”にて,この日は“鮭ハラス焼き定食”をいただきました.同行のせ氏も同じものを食べました.「今日は生ものは万一に備えてやめておこう・・・」という見解でありました.


JR北海道函館支社によるツアーの受付.“最深部探検ツアー”と“青函トンネルウォーク”の両方を受け付けていまして,けっこう混雑してました.ツアー参加者用の名札と列車の乗車証,ヘルメット・万歩計・ライトなどを渡されました.
7:00ちょうど発の“スーパー白鳥10号”にて出発.車内は“最深部探検ツアー”“トンネルウォーク”の人がかなり乗り込んでおりました.


7:55,予定通りに吉岡海底駅に到着.この日のみの臨時停車で,降車は6号車Dコックの操作にて行われました.


吉岡海底駅,正式には“吉岡定点”であります.


作業坑から吉岡斜坑への入り口付近に集合し,整列・班分けのうえで出発となりました.


斜坑への入り口.いよいよ出発.


最初は斜坑を下へ降ります.974段の下りで,ペースを抑えて進みました.


斜坑には排水用の送水管が14インチで5本設置されており,斜坑底には送水用ポンプが構えられています.
いよいよここから先進導坑へと進みます.


先進導坑に入ってすぐの貯水槽と沈殿地.


左が排水坑道,右が先進導坑.


先進導坑入り口の風門.通常は斜坑から送気しており,ここは閉じられています.今日は特別に送気を停止して風門を解放した状態になっております.


先進導坑内の様子.通常は作業員なども通行する機会がないので,鉄バクテリアなども除去されずそのまま残っています.


上部を別の坑道が交差しておりところらしい.


先進導坑内でもっともバクテリアの発生が顕著なところ.先進導坑の横坑(機材坑?)の部分です.


先進導坑内を行くツアー参加者.皆さんゴム長に履き替えての歩きです.


先進導坑内は基本的に吹き付けコンクリートのみの仕上げですが,やはり両肩部に亀裂の発生が顕著でした.


先進導坑8.9kmを歩きまして,作業坑との合流部に到着.(門扉は先進導坑への分岐口)
この先,海峡中央部は作業坑と先進導坑が供用されています.トンネルウォークではこの部分を歩いて通りますが,我々はこの地点から吉岡側へ作業坑を引き返す形となります.


作業坑の様子.基本的にりょう盤コンクリートが設けられていますが,一部で盤ぶくれによる亀裂の発生が認められました.
先進導坑に比べれば歩きやすいですが,すでにこの時点でメンバーは非常に疲れてきております.


作業坑では,以前バクテリアの調査が行われていたらしいです.


作業坑内部の様子.ところどころでアーチ両肩部に吹き付けコンクリートが盛り上げられているところがあるのですが,これがなぜなのか判らじ.....


作業坑を8kmちょっと歩き,吉岡定点への取り付け部まで来ました.


定点側から見た,作業坑への入り口.通常時はもちろん解放されていません.





吉岡海底駅(吉岡定点)では,下り線側の横取り基地用地を活用して「ドラえもん海底ワールド」が公開されておりますが,これも新幹線工事の関係でこの夏で終わりとなります.ツアーにはドラえもん海底ワールドの見学は入っておりませんでしたが,若干予定より早く吉岡に着いたと言うことで,見せていただくこととなりました.終わる直前になって初めてみましたです.


本坑から横取り基地への分岐部も特別に公開していただきました.(通常はドラえもん海底ワールドの舞台の裏手にある)
ちょうど,函館行き特急“白鳥”が通過していきました.


ツアー最後は,吉岡定点から斜坑を1184段の階段で上って,屋外へ出ることとなります.体力に自信のない方はケーブルカーに乗って,ということになりましたが,自分は歩いて登りました.最後にこれは正直きつかったですが...


斜坑口から50くらいのところにある,換気坑道.ここから空気が送り込まれており,火災対策設備の重要な機能を果たしています.


斜坑のケーブルカー.本当に作業用の無骨なものです.


斜坑口とケーブル駆動部.端から見ればトンネル口とは見えないでしょう.


斜坑下り階段974段,先進導坑8.9km,作業坑8.6km,斜坑上り階段1184段をあるいたあとは,“吉岡温泉 ゆとらぎ館”にて昼食と休憩のち,貸し切りバスで函館へと戻りました.土木屋としては青函トンネルを堪能できた1日でした.参加していた他のメンバーはほぼ“鉄チャン”と思われたのですが,果たして楽しめたのでありましょうか?

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函館でホテルに戻って荷物を置き,せ氏と夕食に行きました.
「函館らしい物を...」というせ氏の希望と,あまりしつこい料理は食べたくない自分の希望を満たすということで,寿司を食べに息ました.ホテルから歩いて3分くらいの“鮨金総本店”のカウンターで食べまして,以下に食べたものを列記します.

刺身
●シマエビ
●ボタンエビ
●ホッキ貝
●マコガレイ
●ソイ
●メジマグロ
●活イカ刺し
●アワビ

焼き物
●ゲソ焼き
●ホタテの磯辺焼き

寿司
●握り寿司1人前
●シャコガイ握り
●ネギトロ巻き

アルコール
●生1杯
●国粋

いやぁ,うまかった.刺身は新鮮だし,イカは半透明だし,ゲソを焼いてワタ和えしたものがまた美味い!
ホタテの磯辺焼きなんてのも初めていただいたし.....

で,お代は〆て・・・・・(以下略)

注記:本文記載は8月20日19:20です.

投稿者 とざわ : 23:58 | コメント (4) | トラックバック

2006年08月06日

進歩無し

っつーわけで,以下同文

投稿者 とざわ : 18:06 | コメント (0) | トラックバック

2006年07月02日

東急目黒線地下化切替後

 =使命を終えて=

昨晩,東急目黒線の不動前~洗足間で,地下化工事にともなう線路切り替えがあり,本日初電より同区間は地下線へと切り替わりました.本当は切替工事を生で見学してみたかったんですけど,結局何もせず.で,翌日せめてその後の姿を見ておこうかと,午後から出かけてきました.


目黒で乗り換えて二つめ,武蔵小山で下車してみました.さっそく踏切には仮囲いが施され,当たり前ですが旧線路敷には入れないようになっています.雨模様でしたので,ホームの照明が無いだけでも雰囲気が違って見えます.

ここから隣の西小山まで歩いてみました.


踏切部分はすでに完全に道路として供用すべく,レール部分の隙間が仮養生されて,不陸の無いようになってました.

この先,廃止された踏切はすべて同様の処置がなされておりました.


地上線の西小山駅.こうやって仮囲いをあえて画面内に入れてみることで,廃止という雰囲気が少しは伝わるかな?


切り替わった,とはいえ完全に設備が整っている訳ではなく,仮設備の部分も多いです.西小山駅の列車案内表示廻りも,仮設そのものでした.


1駅乗って洗足駅.ここは以前から半地下構造でしたが,今回の工事に伴って目黒方1両ぶんのホーム柵が撤去されており,その部分の監視要員として車掌が配置されています.ホーム上に詰め所が仮設され,列車到着毎に1両目付近を主に監視する役目になってました.
でも上記写真の目黒方面行きの場合は,先頭部で運転士のすぐ近くなので,あまり意味無いような気もしましたけど.


洗足駅の西小山方には,昨日の切替でつり上げられた仮線が存置されておりました.この手の線路切替は,東急のお得意パターンなんですよねー.まあ,線路脇に工事用地を確保できない地域事情によるものなんですが・・・・・

そんなわけで,切替工事の跡確認(?)でした.9/25の急行運転が待たれますねー.

投稿者 とざわ : 20:53 | コメント (0) | トラックバック

2006年06月12日

土合駅探訪記

先日10日(土)が出番だったので,今日月曜がその分の休みでした.
んなわけで,そんなに天気が良いほどでもないなら,とあまり天候に左右されない所へ出かけるかということで,小学生の頃から一度見てみたかった土合駅へ行ってみることに.当時の時刻表には「下り列車の改札は,発車10分前に打ち切ります」なんて書いてあって,どんな駅なのかずっと興味があったわけ.それで,月曜なら道路も渋滞しないだろうし・・・・・という程度の認識で家を9時前(←この時点で大してやる気がない)に出ました.
関越道を一路水上ICまで走り,土合駅には11:15ごろ到着しました.


土合駅.谷川岳の登山口として立派な駅舎を構えておりますが,駅は既に無人駅になっています.
ちなみに,こんな半端な構図で撮っているのは,左の方にバキュームカーが4台も停まっていたから.(泣)


日本一のモグラ駅です.しかし駅舎の中はがらんどうなわけでして・・・


待合所に掲示.ここは6月末まで冬らしい.


ラッチを入り,左手に進むと下りホームへと続く通路の始まり.


さらに左へ曲がったところ.


もうすこし進むと,利根川の上にかかる部分.何やら休憩用のベンチが置いてあり,下りホームから来た方へのメッセージが・・・


この階段を降りた所が下りホーム.462段,GL-70.7mの深さ.
階段は5段毎に踊り場が設けられてますが,これは単にこの通路がもともと新清水トンネル建設用の斜坑だったところを利用してるためで,取付部と本線トンネルの位置関係から決まった斜坑の勾配にあわせて階段を作ったから.


ちなみに階段右側は,側壁と階段端部が離れて地山が露出してるます.いろいろなサイトを調べると,「もともとエスカレータを設置する計画があり,そのスペースだった」というような記述も見られますけど,それはおそらく違うかと.


右側の側壁下部には高圧ケーブルがトラフで引き込まれており,それとの離隔を確保するために階段を離して造っただけでしょう.こんな駅,もともとエスカなんか計画するわけ無いよなぁ.


そしてこのトラフとの離隔部分の露出した地山を見ると,深さによって鉄バクテリアの噴出しているところやそうでないところがあり,地質の傾向が違うことがわかる.岩種までは見てこなかったけど・・・・・


階段中程の踊り場にある休憩用のベンチ.


踊り場の路面が陥没している所もあります.これが首都圏の駅だったら速攻で修繕でしょうが・・・・・


やっと地底が見えてきた.


さらに平坦部(斜坑の取付部)を経て,やっと下りホーム到達.


下りホームの起点方(左)と終点方(右).気温が低く,霞みがかってました.さすが延長13.5kmの山岳トンネル.
ちなみに右写真の建物は待合室・運転事務室(の廃墟)・便所です.

ちなみに線路は2線敷かれており,ホーム面は副本線になってます.斜坑取付部で大型断面にする必要があったからでしょうか.


壁面に掲示された駅周辺の名所案内.どう考えてもこれは上りホーム(地上)に掲示すべき内容と思われるが・・・


自動車で来て,階段を降りてきたと言うことは,電車に乗る訳にはいかないので,また登らないといけないわけで・・・・・


ここまで書かれるとくどい.


よく見ると階段の段数がナンバリングされてる.


斜坑にも機材坑があったのかな・・・・・?
これについては誰か識者の方,ご教示頂けないかと思います.


462段登ってきました.銘板を発見.前田建設の施工でしたか・・・・・


続いて,ラッチ前から反対側の上りホームへ.突き当たりを左に出ると上りホーム.


上りホーム.のどかな山奥の駅です.
ちなみに,起点方はホームを短縮したらしい・・・


ラッチ脇に時刻表がありました.


駅の外に出てみました.道路を跨いで,さらに利根川を跨いで,旅客通路がトンネルへと繋がってます.
ここが斜坑口というわけで,川の真上に桟橋を組んで工事したんでしょうか・・・



水が冷たくて気持ちのよい場所でした.
そんなわけで,靴・靴下を脱いで足をつけましたが・・・・・20秒でギブアップ.


土合をあとにして,普通は谷川岳ロープウェイなのかもしれんけど,今回は引き返し.そして湯桧曽駅も見ていくことにしました.
こちらも無人駅になっていまして,駅舎内はがらんどうです.土合と同じような雰囲気.


改札を入って,右に曲がると下りホームへの通路.この駅の下りホームも新清水トンネル内にあります.


ここが下りホーム.左側の写真が起点方で,新清水トンネルの坑口からすぐ.なので,駅舎からの高低差もあまりない.....というか,改札口よりホーム面のほうが高い位置にあります.要は山すそに駅舎があって,そこからほぼ高さを変えずに山の中へ入っていくイメージ.


こちらは上りホーム起点方.新清水トンネルの坑口が見えます.


上りホーム終点方.写真上の方に見えるのも上り線で,この山の中をループするトンネルになってます.

で,水上温泉郷にほど近いところまで下りてきて,国道沿いのそば屋で昼食にしました.
なかなかコシのあるそばを食べることが出来ました.


続いて,上越線を俯瞰撮影できるポイントを探してみました.
ちょっと背後の集合住宅が目障りではあるが,まずまずのポイントかと.
それにしても,185系って案外目立つ.

このあと,急に思い立って安中榛名へ行ってみました.こちらも,開業時からいちど行ってみたいとおもっていた駅.(変な駅ばかり行きたいと思うワケだよね・・・・・)


駅近くのこ線道路橋から.ぜんぜん露出の上がらない天候(シャッター速度は1/250)ですけど,安中榛名駅に停車する列車なら余裕で撮影可能.


安中榛名駅.新幹線駅でここまで周囲が緑ばっかりなのって,ここが一番ではなかろうか.こればっかりはいわて沼宮内や七戸(仮称)よりも上のような気がする.

そして,帰りは富岡ICからすっ飛んで帰ってきました.ETCの通勤割引適用で道路代が若干安かったはずだ・・・

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こんな鉄活動するオイラって,やっぱ土木屋だなぁと思ってしまう.

投稿者 とざわ : 22:20 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月09日

万世橋高架橋

交通博物館の閉館まであと1ヶ月あまり,ということで,交通博物館が入っている万世橋高架橋のライトアップを撮影してきました.

高架橋のライトアップ自体は悪くないけど,背景になるビルに明かりが全然無いので,なんだかイマイチな仕上がりに.

平日に撮りに行かなくてはダメか・・・

投稿者 とざわ : 23:49 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月19日

夜のお仕事

これから,夜間作業へ行ってまいります.
橋りょうの検査で成田まで.ちなみに成田駅付近の予想最低気温は-4℃らしい.
風が強くならないことを祈るばかり.

ま,今夜は体を動かす仕事だからまだいいですけど.以前,東北にいたときに夜間作業の立会で-16℃って経験があって,そのなかで5時間「見てるだけ~」ってときは堪えたなぁ・・・

投稿者 とざわ : 21:23 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月17日

阪神淡路大震災から11年

標題の通りでして,今朝から関西地方各地で慰霊祭などが執り行われています.
我々も,この震災については決して忘れてはならないと思っています.この地震を機に,特に土木・建築の分野では耐震に関する様々な考えが新たに整備されてきた,実際の実行段階になると,金銭的な物も含めてさまざまな制約があるのが現状です.それどころか耐震設計の偽装も表面化していますし…

震災の記憶・記録を風化させない方策についても工夫が求められますね.今の自分に上手い考えなど思いつかないですが…

投稿者 とざわ : 06:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月20日

構造計算書の偽造2

昨日のエントリーに補足.
報道内容を見ていると,構造計算を偽造した件名はどうも特定の業者からの依頼が多かったようだ.日頃からのお付き合いで仕事をする部分も多いこの業界なので,どこだってよく仕事を依頼する相手先があるはずなんだけど,これも偽造を繰り返させた一因かも知れないですね…

投稿者 とざわ : 09:26 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月19日

構造計算書の偽造

たまには真面目なことを書いてみる.

千葉県の姉歯建築士によって,耐震性能を落とした構造計算書によってマンションやホテルが設計・施工されていた件である.ニュースによれば,正規の数値を用いて計算させたものと,設計時に想定する地震動を0.5倍に落として入力・計算されたものの2種類の構造計算書をつくり,これらを組み合わせて1つの構造計算書を造りだしていた,というもの.
自分は土木屋であるが,構造計算書をチェックする機会もあることから,他人事とは言えない.そんなわけで,今回の問題を少し考察してみたい.

通常,構造計算書は,(1)設計にあたっての条件と入力数値のパート,(2)計算過程のダイジェストと計算結果をまとめたパート,そして(3)電算による計算結果一覧のパートになっているのが主流で,1冊の計算書の8割以上は(3)の電算による計算結果一覧となる.
計算結果一覧は,コンピュータで計算させたものをそのまま出力したもので,数十~数百ページにわたってひたすら数字の羅列になる.そんな計算書であるから,設計内容を確認する場合(内容を確認している場合で,という意味.何も見てないケースも大いにあり得る.)には,入力した各種の数値が仕様書をはじめとする各種規程類および現地の設計条件に見合うものであるかの確認が主となり,入力値が正しく,さらに構造計算に使用しているプログラムが仕様を認められた物であれば,計算結果は正しいという前提で行う.

今回の姉歯建築士が行った構造計算書の改ざんは,この確認方法の虚をついたもの,という事が出来る.つまり,事前に用意した正しい計算書と正しくない計算書のうち,正しい計算書の入力条件に関わる部分(電算出力結果のうち,入力値の部分を含む)と,正しくない計算書の計算過程のダイジェストと計算結果をまとめたパート,それに電算出力結果の大部分を組み合わせたものと推測される.

これを見抜くには,実際に設計計算過程をすべて再現しながら確認すれば,出力結果が異なるはずなので容易に見抜けるが,実際に行うには非常に時間を要する.設計1件だけを確認すればよい場合にはそれも有りだろうが,今回設計内容の確認業務を行ったという確認機関などでは,数多くの設計を短期間に確認せねばならないため,そのような設計の再現を行う余裕はないはず.そうなると,前記の通り,入力条件と使用したプログラムを確認して問題がなければOKという方法に落ち着かざるを得ないのが現状だろう.

つまり,入力値と出力値の整合性については,技術者の倫理に委ねられているのが現状と言える.このような設計を請け負う者の資格要件として,高い倫理観を持っていなければならないはずであるが,今回の姉歯建築士へのインタビュー中で当人が言っていた「建築士の世界も競争社会で,仕事を取らなければやっていけない…」という一言が,まさにこの問題を言い当てていると思う.つまり,その程度の1級建建築士が少なくない数で存在するであろう,ということである.
もちろん,高い倫理観を持って仕事をされている建築家の方が大多数であろうし,またそうあって欲しいと願うが…

もう一つ自分が大いに問題と思う点は,これら一連の業務に関わるすべての技術者の技術レベルの低下である.様々な場面で図面を見る機会があるはずなのに,誰一人として「何となくおかしい…」という違和感を抱くことが出来なかったのか,という点である.マンションやホテルを建設するうえで,施工場所の地盤や建築物の規模によって基礎の形状や規模も変わるはずであるが,たいていの場合は「このくらいの建築物であれば,基礎はこの程度,柱や壁面の鉄筋数量はこのくらいで…」という目安があるはず.建築(土木も似たようなもの)の仕事をやっていれば,漠然とした形であっても身に付きそうなこれらのスキルが失われているのか… と思うと,この先日本の建設業界(土木や建築)は技術的に先行き暗いなぁ,と思わざるを得ない.「電算出力した結果の設計だからこれで絶対なんだ」と思わずに,やはり建築・土木の基本である「図面がすべての原点」という言葉の意味を,もう一度あらためて考える必要があると痛感する次第である.
また,このような違和感を感じていた,あるいは明らかに設計内容がおかしいと判っていながら,「図面通り施工すれば自分の責任ではない」「コストアップになることを自分から言い出すべきではない」などと考えたりしていたのであれば,それも技術者の倫理観を疑う話になる訳で,これもまた大きな問題としていかねばなるまい.

今回の件では,実に多くの問題が提起されていると考える.
 ●技術者の倫理をどのように評価し,社会に対して保証するか?
 ●要求される確認件数を保持しつつ,設計内容の確認を確実に行う方法とは?
 ●いわゆる「プロ」的な技術者が減る中で,技術力の継承をどのように行うか?
 ●どれだけの技術者が設計内容(図面等)を真剣に確認しようとしているか?
ほかにも色々あるのだろうけど,大きな問題としてはこのあたりではないかと思う.自分も土木屋であるが,このような問題の中にいる一員として,考えなければならない立場にある.いますぐいい答えが浮かぶとは思えないけれど,自分なりに考えていこう…

投稿者 とざわ : 20:31 | コメント (2) | トラックバック

2005年09月04日

つくばエクスプレス

昨日のことですが,つくばエクスプレスに行ってきました.すでに開業後10日あまりを過ぎてのことなので,ネタ的にそんな新鮮でもないんですが…

とりあえず,何枚か写真も撮りましたので,リンクを.
その1(みどりの駅で駅撮り)
その2(流山セントラルパーク~南流山)
その3(同上)
その4(同上)

感想としてはいくつかあるわけですが…

(1)軌道状態は良好.揺れは少ない.
 とはいえ,東北新幹線の200系だって開業時は驚異的に揺れない列車だった訳で,今後のメンテナンスやら地盤沈下の有無などにかかっているような.

(2)座席の座り心地はイマイチ.
 東海道線仕様のE231系普通車のほうが座り心地は良好だと感じました.まぁ,長くても1時間前後までしか座らないから,許せる範囲なのかな.

(3)TX-2000系中間車のクロスシートはシートピッチが広い.
 さすがに1600mmもあると,広くていいですね.あまり向かい合わせの方と足をぶつけずに済むような.

(4)メンテナンスのことを考えてない.
 保守用通路が狭すぎ.しかも防音壁は線路側にRが付いてるし,頭上には上下線ともLCXが添架してあるし,電柱基礎は内側に入ってるし,あれはメンテナンスしたくないです…

(5)ホームドアの構造を上手く使っている.
 乗降口以外の部分は,クリンタイルを省略したり,すこし後ろへ引っ込めていたり.あれなら建築限界管理もかなり楽になるなぁ.上手いことやってる.

(6)軌道中心間隔が狭い.
 車体幅は2950mmもあるのに,軌道中心間隔は3600mmしかないので,130km/h同士の離合はあまり見ていたくないです.

こんなところかな… 特に上記(4)については,ワタクシの会社では絶対に認めないでしょうな.いくら整備新幹線と違って開業後は設備を事業者に渡し切りとはいえ,あまりにもメンテナンスのことを考慮してなさすぎ.

投稿者 とざわ : 20:15 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月30日

旅行終了

26日夜から餘部橋りょう方面へ出かけておりましたが,あっさりと4日で帰宅しました.小学校の夏休みくらい休んでみたいですねぇ…(ただし給与カット無しで)

それで,昨日より大阪にいた訳ですが,今日はおもに兵庫県方面を回ってました.もっとも,天候が芳しくなく,昼前から雨降りになってしまいまして,単に電車に乗っていただけ,のような側面もありますが…

なにはともあれ,えにっきはこちらです.天気が悪い→写真が少ない→えにっき作成手間も少ない→帰りの新幹線で作成済み,ということでして.

さて,明日から通常の出勤.体もついて行かないが,それ以上に頭がついていけなさそうで…

投稿者 とざわ : 21:38 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月29日

餘部~関西私鉄めぐり

こちらへの記載がやや遅れがちですが,28日は朝から餘部橋りょうで撮影し,夕方大阪へ南下してきました.翌29日は朝から関西の私鉄巡りということで,うろうろしていました.えにっきは2日分作成しました.下記リンクからご覧ください.

28日
29日

明日ではやくも最終日… あさって仕事行きたくないぞ!

投稿者 とざわ : 23:54 | コメント (0) | トラックバック

餘部橋りょうに行ってきました

やっと夏休みらしいことを,ということでもないですが,27日から関西方面へ出てきております.それで,昨日まで餘部橋りょうの周囲で撮影をしておりました.27日分のえにっきはこちら.28日は制作途上(完成次第アップします) その餘部橋りょう,いかにも無骨な橋りょうで,お世辞にもスマートとは言えない造りですが,長年の供用によって風景そのものになっている感じですね.

いまは大阪市内のホテルにいます.今日・明日とあと2日休みでして,関西周辺の行ったことのない私鉄を中心に廻ろうかなと.で,どこへ行こう…

投稿者 とざわ : 06:52 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月16日

地震

またも宮城でM7.2の地震.今年は地震が多すぎないか?
しかもよりによってお盆休みのUターンラッシュのピーク日に,新幹線を停めるような地震が来ちゃって…呪われているような感じすらします.
友人も18きっぷで旅行中,東北本線越河付近で抑止を食らってしまったようで.お疲れ様…

地震後の被害状態を早期・的確に把握できて,速やかに運転を再開できるシステムを構築するにはどうすればいいのか.さりとて,地震後の点検を手抜きする訳にはいかないし,点検要員を増やすといっても点検者の眼力だって確保されなければならないし,難しい課題だ.

投稿者 とざわ : 14:47 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月24日

橋りょう名

道路橋で,桁の側面にその橋りょうの名前が記されていることは,特に都市部ではよくあることです.だけど,こういうアルファベット表記はいかがなものか,と思うのだが…

投稿者 とざわ : 20:19 | コメント (0)

2005年06月27日

前田建設ファンタジー営業部 Project3 スタート

すでに何度もこの欄で書いているとおり,前田建設ファンタジー営業部びいきのワタクシですが,今回始まった“Project3”のテーマ選定には意表を衝かれたなぁ.
しかしまぁ,コテコテの土木ネタではあります.「アジアハイウェー」の前田道路も傘下にいるわけだし.
だけど,これを見ていてはじめて,三菱重工が地球連邦軍から極秘受注していたことを知ってみたり…(藁)

投稿者 とざわ : 00:00 | コメント (0)

2005年06月11日

前田建設ファンタジー営業部 Project03

以前,この日々雑感でも紹介したことのある,前田建設ファンタジー営業部で,いよいよプロジェクト第3弾が今月末から連載を開始するらしい.サイトのファンとして非常に楽しみ.
今回は「某有名ゲームのアレ」について様々な検討をするとのことですが,有名ゲームって何だろう.ドラゴンクエストやファイナルファンタジーなんかのRPGの建造物かなぁ,とか思ってしまうわけですが,でもそれだと読者の共通の認識がなかなか得られないように思えるし.それに何より,ふつうのお城を造る程度では,けっこう簡単に設計・積算までできてしまいそうな気がする.
たぶん,もっと突飛なところをターゲットにしているのでしょうね.やはり月末の公開を楽しみに待ちたいと思います.

投稿者 とざわ : 00:00 | コメント (0)

2005年05月06日

北海道新幹線工事認可

ちょっと古い話になってしまいましたが,先月27日に北海道新幹線(新青森・新函館間148.8km)の工事計画が認可になっています.内容などについてはこちらをご覧になればよろしいかと.
それにしても,2015年開業ですか.あと10年ということですが,前倒しになるのかなぁ.そういえば青函トンネルは在来線と共用という形の計画になっていますので,またまた新しい法整備や運営体制が必要なのかなと思います.夜間に貨物を通したら,作業時間帯が確保できないですし…
それと,新函館の駅は現在の渡島大野駅近くに出来るんですよね.函館新都心なんてのが…出来ないか.そうすると,新青森以上に新函館は市街地から遠い駅になっちゃうわけですね.これも札幌を目指すルート選定の結果からきているのでしょうが,正直言って函館・札幌間の利便性を確保しないで何の意味があるのかと思わずにいられません.

投稿者 とざわ : 00:01 | コメント (0)

2005年01月17日

阪神淡路大震災から10年

標題の通り,6000人以上の死者を出した阪神淡路大震災から,10年が経ちました.今日は神戸を中心に,追悼の式典等々が数多く行われたことと思います.私もあらためて,被災者の方に哀悼の意を表したいとおもいます.

阪神淡路大震災以降,各方面で地震災害への備えといったものが整備されてきてはいますが,それでもまだまだ完全なものとは言えないのが実状のようです.昨年も新潟県中越地震があり,自身も一昨年の三陸南地震では震度6を経験し,微力ながら東北新幹線の復旧に携わりました.これらの流れの中で自分なりに思うことは,地震の予知がまだまだ実用になる段階にはとても至っていないことや,地震の災害を回避することは現時点では不可能と言って良く,これまで以上に“減災”を意識した取り組みが必要なのであろう,ということです.地震発生後の初動体制や,火災の抑制,避難態勢の確立,情報伝達手段の確保等々,課題は山積みであり,これらは社会全体が真剣に考え,取り組んでいかねばならないことだと痛感しております.

何時起こるかわからない地震に,巨額の経費を投じることに議論の余地はあるかと思いますが,何もしないというのは最悪の選択肢であることを,政府をはじめとして社会全体で認識する必要があるのではないでしょうか.

投稿者 とざわ : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月05日

土木施工1月号

書店にて,

 特集:地震対策はどこまできたか -阪神大震災から10年-

と表紙に書かれているのを見て,購入.まだ少ししか読んでいませんが,昨年10月に新潟県中越地震もあったことだし,自分としては一昨年の三陸南地震とその後の経験もまだ新しいわけで,地震に対する知見を深めておきたいと思います.そんななかでいま思っていることは,震災を防ぐという発想とともに,震災を小さく抑える,あるいは長引かせない対策が,今後はより一層重要になっていくものということです.

投稿者 とざわ : 00:01 | コメント (0) | トラックバック